煩悩とは
煩悩(ぼんのう)は仏教の教えの一つとされています。
起源は古代のインドの言語、サンスクリット語でクレーシャです。
この言葉は、 心の汚れ という意味があり、仏教では苦しみの元凶とされています。
煩悩は苦しみを生み出すものとされていますがそれだけの意味ではないという見方もあります。
宗派によって異なりますが、 よい給料をもらうため や あの人を見返してやる など、欲望や怒りは生きていくための活力になるという考え方です。
煩悩が生まれる場所
煩悩は位の高い僧であってもなかなかなくなりません。
生きていく上で心が必要であると同時に、心の動きである煩悩も消えることはありません。
仏教では、無明(むみょう)という状態、や三毒(さんどく)といわれるところから生まれると言われています。
無明
無明は、人にとって暗い状態のことです。
言い換えれば分別がつかず、わからなくなっている状態です。
鬱のような状態と考えるととてもイメージがし易いです。
分別がつかない理由は、物事の本質を見抜く力が備わっていないからであり、智慧をつけることにより無明を脱することができると考えられています。
この状態は、基本的な『苦』の原因であり、煩悩もまた無明から発生すると考えられています。
三毒
三毒は貪欲(どんよく)・瞋恚(しんい)・愚痴 の3つの心を総称するものです。
貪欲は欲深いことを、瞋恚は強い怒り、愚痴は真理を知らなくて愚かであること を言います。
この3つが人間を苦しめる心、つまり煩悩が生まれる場所と言われています。
煩悩が108個とされる理由
理由
煩悩が108個あるとされる理由には多くの説があります。
いくつかを紹介していきます。
九十八随眠と十纏説
六根説
四苦八苦説
十二月二十四節七十二気候
九十八随眠と十纏説
煩悩を、大きく分けると九十八随眠(きゅうじゅうはちずいみん)と十纏(じってん)で98と10の煩悩があり、その合計として108煩悩があるという説です。
この煩悩の内容は、仏教の論書にもとづいて説明すると以下のようになります。
九十八随眠
随眠は、眠っている煩悩、つまりは煩悩の種子と考えられています。
この煩悩は
貪瞋痴(とんじんち)
慢
疑
有身見
辺執見(へんしゅうけん)
邪見
見取
戒禁取(かいごんじ)
これをさらに細かく分類し、欲界・色界・無色界の合計で九十八随眠となります。
十纏(じってん)
十纏は
無慚(むざん:間違いを起こした時に自分に恥じないこと)
無愧(むき:間違いを犯した時に他人に恥じないこと)
嫉(しつ:妬む心)
慳(けん:物惜しみ)
掉挙(じょうこ:騒いで落ち着きが無いこと)
悪作(あくさ:悪い行いをすること)
惛沈(こんじん:心を塞ぎ込ませること)
睡眠(すいみん:体も心も眠らせてしまうこと)
忿(ふん:思い通りにならない事に怒ること)
覆(ふく:過ちを隠すこと)
の十個の煩悩を意味します。
六根説
六根は、人間の五感と心を合わせた言葉です。
つまり、 眼・耳・鼻・舌・身・意 のことを指し六情根(ろくじょうこん)とも言われます。
六根
好悪平
染浄
過去現在未来
分類された感情が108になる
六根
六根を通して、色声香味触法(しきしょうこうみそくほう)という六境を知ります。
これにより、目で見た情報や香り、声などを認識します。
また、六根により 喜怒哀楽愛悪(きどあいらくあいらく) の六情という感情が生まれます。
喜怒哀楽だけでなく、憎しみや愛情も生まれます。
好悪平
好悪平はこうあくへいと読みます。
六情から生まれる感情は、好・悪・平という感情に別れます。
それぞれ、良い、悪い、どちらでもないという意味になります。
染浄
3つにわけられた感情は2種類に分類されます。染(せん)は汚い感情、浄(じょう)はきれいな感情です。
過去現在未来
そこから更に過去と現在と未来にわけられます。
分類された感情が108になる
ここまでで分類された感情を見ていきます。
六根説では、分類された種類の分だけ感情があり、それは煩悩の数と考えられています。
感情は六情(6)×好悪平(3)×染浄(2)×過去現在未来(3)の計が108となります。
これが 六根説における煩悩が108個あると考えられている理由です。
四苦八苦説
四苦八苦の意味は、人間の苦しみを示す言葉です。
具体的には「生老病死:代表的な苦しみ」「愛別離苦(あいぞうりく):嫌いなものとの苦しみ」「求不得苦(ぐふとっく)求めるものが得られない苦しみ」「五蘊盛苦(ごうんじょうく)心や体の苦痛が頻繁に起こる苦しみ」のことを指します。
この四苦八苦を読み替え、4×9+8×9の計算式に当てはめると、108になります。
四苦八苦は煩悩の苦しみのため、煩悩が108あることを由来とします。
十二月二十四節七十二気候
一年間にある月の数12、一年間の季節を分けた24、その二十四の気候を初候・次候・未候の3つに分けた72の和は108になることから来たという説です。
108個の煩悩と除夜の鐘の関係
除夜の鐘
除夜の鐘は大晦日の夜に撞かれるお寺の鐘を指します。
除という漢字には、古くなったものは捨て新しいものを迎える意味があり、新年を迎える日となる大晦日は除日とされています。
よって大晦日、つまりは除日の夜なので大晦日の夜は除夜と言われています。
そして、お寺によって異なりますがこの鐘を大晦日に撞くのは108回とされています。
この数字は煩悩の数と全く一緒になっています。
煩悩と除夜に関係はあるのでしょうか?
多くの場合はあると考えられています。
108つの煩悩の数、鐘を撞くことによって煩悩を振り払おうというものです。
108個の煩悩と数珠の関係
数珠
数珠は 念珠 や 寿珠 ともいわれ、最も身近な仏具になっています。
数珠は以前は、お経を読む回数を数えるための道具でした。
数を念ずる、数を記すための道具として数珠と呼ばれています。
今の日本では、お葬式に無くてはならない物になり、厄除け、お守りとして用いられるようになりました。
そんな数珠の数は108子が基本になっています。
省略されている場合は54個や36個などになっています。
中国の言い伝えでは、インドの国の王がお釈迦様に心の平穏を得る方法を聞きました。
その際、 お釈迦様は108個のムロクジの実を繋いで、一つずつ玉を繰ることを百万回繰り返すことを勧めたことが、数珠の始まりと言われています。
数珠に関しては、こちらも参考にしてください。
数珠に込められた意味とは?宗派別に持ち方や選び方も解説
数珠に込められた意味とは?宗派別に持ち方や選び方も解説
お墓・霊園比較ナビ編集部
煩悩を正しく理解することが大切
この記事では煩悩について以下の内容で説明しました。
煩悩とは
煩悩が108個とされる理由
108個の煩悩と除夜の鐘の関係
108個の煩悩と数珠の関係
煩悩は良いことではないと考えがちですが、全てにおいて当てはまるわけではありません。
欲望は、人を成長させたり、人生を良い方向へと導くこともあります。
煩悩は心がある限り生まれるため、煩悩そのものを否定することは、自分の心をも否定することになります。
大切なことは、バランスを保つことにあります。
煩悩は苦しみを生みますが、それは時として人としての成長にもつながります。また、苦しみや辛さがあるからこそ、楽しさや幸せを感じられるのだと思います。