供養塔の意味とは
墓誌
供養塔とは、名前の通り 亡くなった方々を供養するための塔です。
ここで取り上げる供養塔は 石造の供養塔がほとんどです。
しかし、供養塔のルーツをさかのぼると、お釈迦様の遺骨を祀ったストゥーパ、木造の五重塔や多宝塔にも行き当たります。
墓地でよく見かける卒塔婆もまた供養塔の一種です。
供養塔がある場所のほとんどが昔、大勢の人々が何らかの理由で亡くなっています。
供養塔に安置されているのは、多くは身元が分からない・引取り手がない遺骨です。
しかし、昨今は永代供養が注目を浴び、 身元がハッキリしている人でも供養塔で供養することも増えてきました。
また一般の家庭(個人)でも供養塔を建てる場合があります。
供養と名前がついていますが、亡くなった方々を追善供養する目的以外にも供養塔を建てます。
供養塔の形と種類
卒塔婆墓
供養塔には様々な種類があります。供養塔としてメジャーな 無縫塔・五輪塔・多宝塔についてみてみましょう。
無縫塔
五輪塔
多宝塔
無縫塔
無縫塔(むほうとう)とは丸みを帯び、卵の様な形の石塔です。
卵塔と呼ばれることがあります。
この卵の様な部分に、普通のお墓にある継ぎ目がないことから無縫塔と呼びます。
塔身・請花・竿・基礎から成り立っています。
無縫塔が登場したのは、中国(宋)から禅宗が普及した鎌倉時代以降です。
当初は禅宗の高僧の墓が無縫塔でした。
しかし、後に 他の宗派の僧侶の墓としても普及していきます。
また無縫塔は卵型の部分がメインの単制、竿がある重制の2タイプに分かれます。
五輪塔
五輪塔(ごりんとう)は、四角い台座に乗った丸い石に屋根がかぶさった様な石塔です。
平安時代以降に普及しています。
正しくは以下の5つの部分から成り立っています。
五輪 該当する部分 梵字
空輪 宝珠 キャ
風輪 受花 カ
火輪 笠 ラ
水輪 塔身(丸い部分) バ
地輪 基礎(四角形) ア
それぞれの部分には 梵字(ぼんじ)が刻まれています(漢字のことも)。
五輪塔が造られた時代によっては 南無阿弥陀仏・妙法蓮華経の場合があります。
当初は時の権力者が造りましたが、時代が下がるとともに庶民にも普及していきます。
多宝塔
多宝塔(たほうとう)はその名の通り塔の様な石塔です。
実際のところ石塔で造るよりも、多宝塔は木造建築がほとんどです。
多宝塔と似たものに 「宝塔」があります。
両者の違いは多宝塔が屋根が2つに対して、宝塔は1つです。
基礎・塔身・笠(屋根)・相輪から成り立っています。
その上、似たものとして 宝篋印塔(ほうとういんきょう)があります。
塔内に宝篋印陀羅尼経(ほうとういんだらにきょう)などを納める目的で造りました。
多宝塔と同じく礎・塔身・笠(屋根)・相輪です。
しかし、屋根の部分に隅飾突起と呼ばれる装飾があります。
供養塔と石塔婆・卒塔婆
卒塔婆墓
供養塔には五輪塔・多宝塔などの他にも、 石塔婆・卒塔婆があります。
石塔婆
石塔婆(いしとうば)とは、梵字や供養内容が刻まれた板状の石碑です。
「板碑」と呼ばれる方が一般的です。
追善供養で建てる場合、功徳を積むためなどの目的で造る場合がありました。
追善供養の場合は、故人の名前が刻まれて墓地に建てました。
功徳のために造る場合は、人目に付きやすい場所に建てました。
また石塔婆に使われる石が緑泥片岩のものを青石塔婆と呼びます。
緑泥片岩が盛んに採掘された現在の埼玉県エリアは、青石塔婆が多いのも特徴です。
卒塔婆
卒塔婆(そとば)とは、お墓の背面などに立てかけている細い木の板のことです。
長さは5尺(約1.5m)が一般的です。
この板には 梵字、ご先祖様の戒名が記されています。
片面には五輪塔と同じ 梵字(キャ・カ・ラ・バ・ア)と記されます。
もう片面には 大日如来の梵字「バン」、その下に戒名が記されています。
お釈迦様の遺骨を安置したストゥーパが卒塔婆の起源です。
日本においてはストゥーパは五重塔へ変化、その後五輪塔へと姿を変えて普及します。
五輪塔が簡素化されたものが卒塔婆です。
供養塔の価格相場
お金 相場
供養塔の価格は、 供養塔の種類や形状・使われている石材の種類によって異なります。
基本的に装飾が多い供養塔ほど価格は上がり、本体価格以外にも文字などの彫刻代・設置等や施行代が発生します。
供養塔の中でも取り扱いが多く需要が多いのが五輪塔で、 20万円台から購入可能です。
多宝塔や宝篋印塔・無縫塔など装飾が多く、 職人の技量が問われる供養塔はゆうに100万円を超えます。
無縫塔に関しては価格を公表していないことがほとんどです。
また供養塔が古美術商などで販売されることがありますが鑑賞目的とされています。
供養塔とお墓の違い
違い
一見すると供養塔とお墓の違いがよくわからない人もいるでしょう。
供養塔とお墓、具体的にどういった点が異なるのでしょうか?
共通点
お墓と供養塔の共通点は、 亡くなった方々の供養で建てる点です。
故人の遺骨を埋葬し、心の拠り所となります。
どちらも石材店で取り扱われており、墓地・霊園などに建てます。
供養塔とお墓の異なる点
お墓は基本的に一家族が対象となり、お墓の後継者がいることが一般的です。
供養塔では 家族であるかどうか関係なく合祀する点、主に引取り手のない遺骨を埋葬する点 で異なります。
お墓は故人の供養に必要ですが、供養塔は故人の供養以外にも建てます。
先祖供養のため、個人で供養塔を建てることがありますが、本家が管理する場合がほとんどです(詳しくは後述)。
また 供養塔は基本的に高額なため、個人単位ではそれほど普及していないのが現状です。
供養塔が建てられるタイミング
カレンダー
亡くなった方々の供養で供養塔を建てることがほとんどです。
戦争や災害といった多くの尊い命が失われた際に供養塔を建てます。
身寄りのない人・遺骨の引取り手がない場合のためにも供養塔を建てます。
人だけではなく、ペットや食用にする魚たちなどのためにも供養塔を造ります。
戦争後
災害後
感謝の意を示すためにも造る
戦争後
日本はこれまでに太平洋戦争などの大きな戦争で多くの命を失いました。
戦争で命を落とした人々の供養のため、たくさんの供養塔を造りました。
この後ご紹介する広島県の原爆供養塔もその一つです。
災害後
洪水や地震による津波といった、 自然災害で亡くなった方々を供養するためにも供養塔を造りました。
農作物の凶作による飢饉(ききん)などで餓死した人々を供養するためにも供養塔は建てられています。
一揆や非業の死を遂げた人のためにも造りました。
感謝の意を示すためにも造る
供養塔は大勢の人が亡くなった時だけではありません。
たとえば、うなぎ・すっぽん・ふぐといった 食用になる魚の供養塔が存在します。
使えなくなった眼鏡や包丁といった 道具の供養塔も存在します。
これらの食べ物・道具に対して感謝の気持ちを示すために供養塔を造ることがあります。
日本で有名な供養塔
石塔
供養塔は古くから建立されています。ここでは日本でも有名な供養塔をいくつかご紹介しましょう。
原爆供養塔
源頼朝供養塔
近藤勇・新撰組隊士供養塔
高野山奥の院
原爆供養塔(広島県広島市)
広島に投下された原爆によって命を落とした人々を供養するために建てられました。
身元が分からない人・家族全員が亡くなって引取り手のなかった遺骨が中心です。
円形に盛られた土の上に相輪の塔が立っています。
相輪とは五重の塔の屋根の上にある部分です。
相輪だけなので、見た目はロケットのようにも見えます。
源頼朝供養塔(神奈川県鎌倉市)
鎌倉幕府を開いた源頼朝の供養塔は、 頼朝公の持仏堂だった法華堂の跡地にあります。
石造の五重の塔の供養塔です。
もともと法華堂は頼朝公の墓所でしたが、法華堂は廃絶してしまいます(現在は白旗神社)。
法華堂の跡地に現在の供養塔を建てたのは、源氏の子孫である島津藩主・島津重家です。
近藤勇・新撰組隊士供養塔(東京都北区)
新撰組は幕末に活躍した浪士隊で、近藤勇はそのトップ(局長)でした。
供養塔は 近藤勇が斬首となった処刑場から少し離れた場所にあります。
近くにはJR板橋駅があります。
この供養塔は生き残った隊士のひとり、永倉新八によって建立されています。
近藤勇・土方歳三以下110名の名前が刻まれています。
高野山奥の院(和歌山県)
高野山の奥の院には 有名人・著名人のお墓や供養塔があることで有名です。
伊達政宗・明智光秀・徳川吉宗といった歴史的人物の供養塔があります。
高野山がいかに崇敬されているかがうかがえます。
またユニークな形の企業墓も見る人の目をひきます。
ただ「御廟の橋」から先は高野山の中でも最も神聖な場所となります。
めずらしい供養塔が立ち並ぶので思わずカメラを向けてしまいがちです。
御廟の橋から先は写真撮影は禁止ですから注意しましょう。
永代供養とは
永代供養墓
永代供養という言葉をこれまで以上に耳にする機会が多くなりました。
この永代供養でも供養塔は大切な役割を担っています。
まずは永代供養について知っておきましょう。
永代供養とは
浸透はしてないが増えてきている
供養塔を建てている寺院
永代供養とは
永代供養とは、 お寺が遺族に代わってお墓を永代に渡り管理することです。
永代供養の内容はお寺によって異なります。
基本的に遺骨を個別に安置する分骨型、他の遺骨と一緒の合祀型に分かれます。
ただ分骨型でも 33・50回忌までといった期限があり、その期限を超えると合祀されます。
さらに納骨堂に遺骨を安置するケース、そして屋外に埋蔵するケースがあります。
浸透はしてないが増えてきている
昨今は高齢化・少子化などが懸念されています。
その影響で、先祖代々の墓を管理することができなくなるケースがでています。
そのため、一般の墓地・霊園にあるお墓を「墓じまい」する人もいます。
墓じまいとは、墓地・霊園にあるお墓を撤去し、更地にすることです。
埋葬していた遺骨の新しい改葬先として永代供養墓が選ばれることがあります。
また墓地・霊園にお墓を新しく建てる場合、まとまった金額が必要です。
一方で永代供養の場合、新しいお墓よりもコストを低く抑えることができます。
そのようなコスト面からも、 永代供養を選ぶ人は徐々に増えつつあります。
さらにこれまでは永代供養を受けられるのは檀家のみでした。
しかし、世の中のニーズに応えるべく宗派を越えて受け入れるお寺も存在します。
永代供養に関して、詳しくはこちらを参考にしてください。
【専門家監修】永代供養墓とは?費用が安い?墓じまいからの永代供養墓への流れも解説
第三人生編集部
供養塔を建てている寺院
永代供養を行っている寺院では供養墓への合祀が一般的です。
しかし、供養墓ではなく供養塔を建てている寺院も存在します。
春秋苑(神奈川県川崎市)
広大な敷地を誇る春秋苑は、小田急線の生田駅から車で南へ7分のところです。
一般の墓地や納骨堂などの施設があり、永代供養塔による供養も行っています。
33回忌を終えた後に合祀となります。
丸い球が印象的なモダンなデザインの供養塔です。
最寄りの生田駅からは無料の送迎バスが運行しています。
善想寺(京都府京都市中京区)
二条城の南側に位置する善想寺では宗派を問わず、供養塔への永代供養を行っています。
13回忌の後、同じ供養塔の中にある納骨所に合祀します。
ご夫婦の場合は共に13回忌を終えたのちに合祀となります。
善想寺境内はバリアフリー対応、観光地ということもあり公共交通機関でのアクセスも抜群です。
供養塔は一般家庭でも建てる?
はてな ?
供養塔は一般的に戦争や災害で亡くなった大勢の人々を供養するためなどで建てられます。
そのため、 墓地・霊園以外で供養塔を見かけた場合、その地で多くの人が亡くなったと推測できます。
しかし、一般家庭においても供養塔を建てるケースが跡を絶ちません。
一般家庭において供養塔を建てる目的は「先祖供養」です。
供養塔を建てて先祖供養を行うことで、 ご利益を得られると考えられています。
また、墓地に先祖の墓が多数ある場合に、供養塔を建てて一緒に供養するケースもあります。
分家したら先祖供養塔は建てるべきか
昨今は本家・分家という意識は、以前に比べると薄れている感もあります。
本家は長男が継ぐ家を、分家は次男以下の兄弟の家を指します。
一般的に先祖代々の墓は、長男に受け継がれ管理されます。
ただ、分家したら先祖供養塔は建てるべきかどうか?という疑問を持つ人もいるでしょう。
結論から申し上げると、 必ずしも供養塔を建てる必要はないです。
しかし、ご先祖様があって今の自分たちがいます。
そのことを考えれば、ご先祖様を手厚く供養したいという人もいるはずです。
「今の自分たちがいることをご先祖様に感謝したい…。」
感謝や尊敬の念をカタチに表したいと思うなら、先祖供養塔を考えてみましょう。
新しい役割を担いつつある供養塔
日本での供養塔の歴史は平安時代にまでさかのぼります。
供養塔は戦火・災害などで亡くなった人々、身元が分からない人の供養が主な目的でした。
亡くなった人の供養という意味合いが強い供養塔ですが、実際は供養以外の目的も持っています。
この世において功徳を積むため・よりよく生きるために建てられることがあります。
しかし、時代が移り変わるにつれ、 永代供養で供養塔を建てるケースが増加しています。
少子高齢化の影響で、これまでのように先祖代々のお墓を継承することが難しくなっています。
そのため、墓じまいをして供養塔で永代供養を行っているお寺に移転するケースも見られます。
少子高齢化はまだ続くとみられるので、 永代供養を行う寺院は増えると予測されます。
そういった背景もあって、 これまでとは違った意味で供養塔は増えていくと考えられます。