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葬儀

2024.04.30

沖縄のお墓はなぜ大きい?種類や風葬・お墓参りのマナーも解説

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「沖縄には大きなお墓がある」ということを知っていますか。
本土と沖縄では「お墓」という観点一つに着目するだけでも様々な違いを見つけることができます。
沖縄の墓はなぜ大きいのかという理由から、お墓参りのマナーや重要事項までを解説していきます。

沖縄のお墓が大きい理由
沖縄に観光旅行などで訪れたことがある人は、沖縄のお墓の規模を見て仰天されたかもしれません。

中にはあまりの大きさからお墓だということに気づかなかった方もいると思います。

日本本土と比べて沖縄は葬儀に関する考え方が大きく違うからと一言で言えますが、実際にどのような違いや特徴があるのでしょうか。

沖縄のお墓について解説していきます。

沖縄のお墓はなぜ大きいのか
民家
人が住めるほどの規模がある沖縄のお墓ですが、何故こんなにも大きいのでしょうか。
理由は以下の4つからまとめることができます。

風葬の文化
門中墓(もんちゅうばか)の存在
墓石の前で宴会が開かれる
沖縄の気候に合わせて
一つ一つ解説していきます。

風葬の文化
ご存知の通り、日本本土では昔から「土葬」や「火葬」で死者を供養してきました。

一方で沖縄においては 「風葬」 という文化が根付いており、およそ戦後まで続きました。

風葬とは、遺体の周りに石で囲いを作り風化させるという埋葬方法です。

一定の年数が経ち、骨になった後で親族が遺骨を洗浄し、骨壺に入れて再び同じ場所へ納骨します。

風葬には長い年数の経過が必要であり、遺体を置くスペースを広く確保しなければなりませんでした。

このために、お墓の大きさは自然と大きくなったのです。

現在では風葬の文化は途絶え、新しく建てられるお墓は小さいものがほとんどです。

門中墓(もんちゅうばか)の存在
門中墓(もんちゅうばか) は琉球の方言で「ムンチュー」から由来する、門中が利用していたお墓です

門中とは 「父方の血族」 の集団のことを指し、父方の血の者であれば誰もが同じ門中墓に入りました。

このため、先祖代々で同じお墓に入る本土の伝統よりも 多数の人間が同じお墓に入る ため、必然的に大きなお墓が作られました。

墓石の前で宴会が開かれる
沖縄では 清明祭(シーミーサイ) と呼ばれる先祖を供養する行事があります。

毎年4月に開かれ、親族がお墓参りやお墓の清掃をした後に 先祖のお墓の前 でビニールーシートを敷いて、ご飯やお酒を飲みながら祖先を供養します。

清明祭 をするためには墓前に大きな広場を作る必要があり、広場が大きくなることで墓全体も比例して大きくなっていったのです。

清明祭は先祖を尊び供養することはもちろん、親族が互いに歓談できる機会であり、ゆかりのある人を大切にする沖縄県民の風土に適ったお祭りだと言えます。

沖縄の気候に合わせて
沖縄はご存知の通り、 天候の変化が激しい 地域で台風や豪雨の被害に遭いやすい場所です。

そのため、昔から雨風に備えるための設計がなされ、屋根や防護壁などが備えられてきました。

先祖様を守るための様々な工夫が結果として、沖縄のお墓を頑丈で巨大なものしました。

沖縄のお墓の代表的な種類
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亀甲墓(きっこうばか、かめこうばか、カミヌクー)
亀甲墓とは
沖縄に多く見られるお墓の一つに 「亀甲墓」 というものがあります。

中国の台湾や福建省から伝わり、 亀の甲羅の形に似ている ことから亀甲墓と名づけられました。

一部の地域は亀甲墓を 「女性の子宮」 を模していると見なしています。

女性の子宮の形をしたお墓に入ることは生まれる前の状態に戻ることと同義であり、 「母体回帰」 の観点から縁起が良いとされています。

遺骨を安置する場所がおよそ7畳の広さもあり、墓石の前には屋根が設けられ、親族が集まるスペースが作られていることが大きな特徴です。

亀甲墓の歴史
大昔は士族の墓と見なされていましたが、明治時代に琉球藩から沖縄県になった後、庶民にも普及しました。

戦時中はお墓の広さと頑丈な作りから防空壕として利用されました。

しかし、戦後には米軍の取り決めにより、古くから存在した亀甲墓はほとんど撤去されてしまいました。

近年ではコンクリート製の大きな亀甲墓から石材で作られた小型の亀甲墓まで幅広く存在します。

破風墓(はふばか、ハフー)
破風墓とは
屋根の形が家と同じ三角形(破風型)をしていることから名づけられた琉球王国から伝わる沖縄のお墓を 破風墓 と言います。

雨風を凌ぐ目的が強いため、傾斜のある場所に穴を掘って土台を作り、屋根には山状の板を取り付けられていることが特徴です。

「亀甲墓」同様に規模が大きく、古くから多くの伝統的な行事がお墓の敷地内で行われてきました。

破風墓の歴史
「亀甲墓」と同じく、琉球王室だけが建てることを許可されていましたが、廃藩されたことにより庶民に広まりました。

「亀甲墓」よりも歴史は古く、1501年に建てられた第二尚氏王統の墓 「玉陵(たまうどぅん)」 が現存している最古の破風墓です。甲墓へと建て替えが増加しています。

糸満市にある 「幸地腹門中墓(コウチバラムンチュウバカ)」 は日本最大のお墓として有名な破風墓です。

戦後に建てられたコンクリート製の破風墓の多くは劣化してしまったため、現在では石製の破風墓が多く存在します。

現在では、大勢で一つのお墓に入る文化が薄れてきた影響により、小型の破風墓(ヤーグヮーバカ)が沖縄の平地に多くみられます。

屋形墓(やかたばか、ヤーグァ)
屋形墓とは
屋形墓 は、破風墓から派生したものとされています。

違いとしては屋根の形が三角形ではなく板状であることと、全体的に小さなサイズのものが多いことです。

沖縄のお墓の形態
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門中墓
門中 とは 「父方の血族」 の集団のことを指します。

門中墓は父方の血をひいている者であれば誰でも入ることができ、先祖代々で入るお墓と比べて非常に規模が大きくなります。

しかし、門中によってしきたりも様々であり、未婚や一度離婚した女性は門中に入ることができず自分で新しい個人墓を建てる場合もあります。

門中墓 は共通で多くの人が使用するため、個人でお墓を建てるよりも費用を削減することができます。

共通のお墓を持つことにとどまらず、子育てを同じ門中同士で回したり、お金の工面をすることもありました。

兄弟墓
兄弟墓 とは文字通り、兄弟で一緒に建てるお墓のことを指します。

横並びにして建てる場合や、兄弟で一つのお墓に入ることがあります。

個人墓のように一代限りのお墓というわけではなく、兄弟それぞれの子孫が同じお墓に入る場合もあります。

また、 門中墓 では血縁上、同じお墓の中に入ることができない場合が多くあります。

お墓に入る人を制限されたくない、門中との付き合いから距離を置きたいと望まれる方が沖縄で兄弟墓を建てる傾向があります。

沖縄の現代のお墓
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昔の沖縄のお墓は上記にあるように、同じ門中同士が資金を出し合って建設する 「門中墓」 が多く存在しました。

祖先という輪よりも広い、多くの人々が同じお墓に入ることが沖縄のお墓の特徴だと言えます。

しかし、辺境の地に建てられたことが多い門中墓を管理するには人手も少なくなり、現代では管理が行き届かなくなってしまいました。

大勢の人が同じお墓に入っていることで、供養するのも難しくなってしまったのです。

また、門中墓は 風葬 による供養を目的としたお墓ですが、第二次世界大戦後、沖縄においても 火葬 が普及したため、お墓に風葬をするためのスペースを設ける必要がなくなりました。

さらには少子化が進み、ライフスタイルの変化が激しく進んだ中、門中墓のような 大きなお墓が必要なくなってしまった という点が沖縄のお墓に大きな影響を与えました。

これらの理由により沖縄のお墓には 小さなお墓 が増えました。

沖縄県民のお墓の具体例
小型のお墓
近年では既存の門中から独立する人が多く、沖縄から遠方へ移住する人がいる関係上、個人でお墓を建てるケースが増加しました。

そして、管理や清掃のしやすい 小型のお墓 も自然と多くなりました。

規模こそは本土と同じ大きさですが、種類で言えば屋根がついた亀甲墓のような沖縄らしい形のお墓もあり、お墓の種類は多岐にわたります。

亀甲墓・破風墓
これらを総称して 琉球墓 と呼びます。

戦後、多くの琉球墓は撤去されましたが、今でもとても多くの沖縄県民が利用しています。

沖縄県民の思想に定着した 琉球墓 は、今後も変わることなく沖縄の代表的なお墓として親しみ続けられるでしょう。

琉球墓と和風墓の融合
お墓を小型にすることで 沖縄らしさ をお墓に残すことができないのではないか、と思われるかもしれません。

ですが、そのようなことは決してありません。

お寺や霊園で建てられるように設計された、小型の琉球墓が増加しています。

従来の亀甲墓や破風墓に似せて、お墓の下部に骨壺入れることができるスペースと扉を作った形のものです。

また、 「軸石型」 と呼ばれる琉球墓と和風墓の融合をしたような形も近年では人気を博しています。

軸石型 のお墓は和風墓のように戒名や年齢を刻み、その下に骨壺を置くスペースを設計したものです。

沖縄の霊園
沖縄において 霊園 は深く根付いたものではありませんが、お墓を住職に管理や清掃をしてもらえるという点で評判になりました。

霊園には公営、私営、寺院墓地と大きく3つの種類があります。

公営霊園 市長区村の地方自治体が運営している霊園です。
公営での管理のため、民営の霊園と比べて安い場所が多いです。

民営霊園 宗教法人の依頼で民間企業が管理運営をしている霊園です。
国籍や宗派を問わず入ることができ、サービスが充実している点が特徴です。

寺院墓地 お寺の境内で管理や運営をしている墓地です。
入檀料を払う必要がありますが、お墓が寺院の中にあり安全で、住職から手厚く供養してもらえるメリットがあります。

自然葬
自然葬 とは、遺骨を海や樹木に撒く埋葬方法です。

内地の人だけではなく沖縄県民もまた、自然葬をする人が増えています。

お墓を建てて、子孫に引き継いでもらうやり方が主流の日本において、遺骨の残らない 自然葬 は抵抗があると思われます。

しかし、沖縄のひときわ美しい海に散骨されることで、遺族も安らかな眠りにつくこともできることでしょう。

沖縄でのお墓参りのマナー
お墓詣り
ここまでは主に沖縄の「お墓」についての独特な特徴を説明しました。

では、 お墓参り に関してはどのような違いやマナーがあるのでしょうか。

お墓参りと年中行事
服装のマナー
拝み方
以上に分けて解説をしていきます。

お墓参りと年中行事
本土において、お墓参りは原則的にいつでも行って良いものとされています。

ですが、沖縄においては年中行事がある日以外は 行くべきではない とされているのです。

沖縄において行事の日以外にお墓参りをすると、 周囲に漂っている霊魂が付いてくる と言い伝えられているからです。

このようにお墓参りには制限が設けられていますが、年中行事の際は親族が一丸となり、盛大にご先祖様を供養します。

以下では沖縄の主な伝統行事を紹介します。

七夕(たなばた)
織姫と彦星が再開する行事とは違い、 旧暦7月7日 にご先祖様にお盆を知らせる行事です。

年間行事の中では規模が小さく、ごく少数の親族が集まります。

七夕は別名で 「日無し」 と呼ばれ、 神様の目が届かない日 とされています。

神様がいる期間にお墓参りをすることは縁起が悪いと沖縄では扱われています。

したがって、この七夕のを狙って清掃などのお墓事をする人が沖縄では一般的です。

清明祭(シーミー)
毎年、気温が上がり始める4月ごろに行われるのが 「シーミー祭」 です。

先祖を供養する行事であり、お墓の前で ウチカビ と呼ばれるあの世で使用されるお金を焼き、参列者一人ひとりが ヒラウコー と呼ばれるお線香をあげます。

その後、 「ウサンミ」 と呼ばれる色とりどりのお餅やおかずが入ったおせちのような重箱のお弁当を食べながら歓談をします。

十六日(ジュウルク二チー)
沖縄では、あの世で行われる正月を 十六日(ジュウルク二チー) と呼びます。

お正月から1月15日までの間は神様がいる神聖な時期とされ、お墓参りが許されません。

そのため、十六日に初めて墓参りをすることが可能となり、後生の正月としてご先祖様を祀る行事です。

重箱や果物、お菓子などをお供えし、ウチカビ(あの世のお金)を焼いてご先祖様を供養します。

お彼岸
春分と秋分の日を含めた、前後3日間に 彼岸祭 が催されます。

お彼岸の時期に仏壇やお墓を清掃し、お酒やお線香などをお供えし、ウチカビを焼いてご先祖様の供養をする行事です。

服装について
服装 に関しては沖縄伝統のものであっても、本土における一般的な服装でも違いはありません。

土地の風習により指定された服を着なければいけない決まりがなければ、服装は正装であれば問題はありません。

拝み方について
沖縄においては、 生前に縁の深かったご先祖様から順に 手を合わせて拝むという決まりがあります。

また、お墓の前で直立した状態で拝むと、お墓を見おろす形となってしまい、ご先祖様に無礼な態度を取ってしまいます。

そのため、しゃがむを姿勢を取り、 お墓を見上げながら拝む ことが沖縄では良しとされています。

沖縄のお墓参りで必要なアイテム
ここまで、沖縄のお墓事情が本土と大きく異なることをご理解いただけたかと思います。

お察しの通り、お墓参りに行く際に持って行くアイテムも、本土とは大きく異なるのです。

お墓参りで必須のアイテム
ウチカビ
「あの世で使用されるお金」 という意味で用いられています。

清明祭 や 十六日 で主に使用され、ご先祖様があの世で金銭面に困らないように用意されたものです。

ウチカビは藁を加工した黄色い紙に、銭形の模様を刻印したもので、3枚から5枚で一組となっています。

お供え物の上に置き、一連の儀式が終わったあとに カニバーキ(ウチカビを燃やすときに使用するもの) を使ってウチカビをまとめて燃やします。

綺麗にウチカビを燃やすことであの世のご先祖様にお金を送り届けたことになります。

その後、燃やした後に出る灰に、お供え物のお酒をかけることで終了となります。

カニバーキ
カニバーキ とは、金属製のタライのことで、ウチカビを燃やす際に使用されます。

その他にも、ご先祖様に送るためのお花や料理をカニバーキに入れてお供えすることもあります。

ビンシー
ビンシー とは、お米やお酒、調味料、お線香などを入れた木の箱のことです。

コンパクトなサイズで携帯することができ、様々な行事に持ち運ぶことができます。

ビンシー はあの世における 実印 として扱われ、親族間での貸し借りをしてはいけません。

ヒラウコー
ヒラウコー(平御香) とは、沖縄独特のお線香です。

日本本土のお線香は緑色をしていますが、こちらは黒色をしているのが特徴です。

ヒラウコーを焚くことで、あの世のご先祖様と交流を図ることができたり、縁結びをすることができるとされています。

ヒラウコーに火が灯っている間に手を合わせながら、願掛けをしたり伝えたいことを話します。

沖縄のお墓参りをする際の重要事項
ヒジャイガミ様へお供えをする
沖縄には 「ヒジャイガミ様」 と呼ばれるその土地の神様がいます。

お墓を守護している神様であり、お墓の左側に位置することから「ヒジャイガミ様」は「左神」と呼ばれることもあります。

お墓参りをする際には まず第一にここを訪れ 、「いつもお墓を守って頂きありがとうございます」を意味する言葉を唱える作法があります。

地域によっては自身の氏名や住所も一緒に伝える必要があります。

手を合わし、一連の伝達が終了した後はウサンミ(お重)から、それぞれ二個ずつおかずを取り出し、お皿に並べてください。

(お重の中には取り出したおかずと同じものを再度、入れる必要があります。

今度はこれを墓前に供えるために必要なのですが、それをするためには補充するための追加のおかずを準備しなければなりません。)

ご先祖様のお墓に行くよりも先に 「ヒジャイガミ様」 を訪れることが、沖縄の墓参りにおける重要な特徴です。

沖縄のお墓のあれこれ
お墓という観点から見るだけでも、沖縄と本土では大きな違いがあることが理解されたかと思います。

沖縄では今でも、昔から根付いている行事や作法は変わらずに残っています。

沖縄でお墓参りをする場面に立ち会う、観光で沖縄のお墓を見物する等の際には今回の記事で書いたことを参考にして頂ければ幸いです。

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